「Must思考」が、ミソフォニアの苦痛を極限化させる。

今回は、無意識のうちにあなたの習慣へ組み込まれている「規範意識」が、ミソフォニアの不快感をどんどん増大させてしまう理由についてお話しします。
ミソフォニアの不快感を助長しまくる「規範意識」とは?
「〇〇は〇〇しなければならない」
こういった、ガチッとした固定観念を作る大元になっているのが、「決められているルールやマナーを守るべき」という規範意識になります。
もちろん、周囲の人へ迷惑をかけないためにも、TPOに応じた規範意識は、誰しも持ち合わせていた方がいいものです。
でも、この規範意識が原因で、あなたが感じる音のイライラが制御し難いものになってしまうんだとしたら、それは果たして必要なものでしょうか。
本当にそれは、今「そうするべき」こと?
ミソフォニア当事者の人が気にする音には、マナーの良し悪しに関わる音がたくさんあります。
例えば食べる時に出る音(クチャクチャ・ボリボリ)や、食器同士が触れ合う音(カチャカチャ・コンコン)など。
たしかにこれらの雑音を出さない方が「上品」な食べ方かもしれません。
でも自分たちは、ヨーロッパの良家のご子息令嬢ではないと思いますし、いついかなる時でも「食べる音を出さぬべき」なのかと言ったら、そんなことはありませんよね。
たとえば自分一人の時にどんな食べ方をして、どんな音を出したって、自分も誰も迷惑なんてするわけがないじゃないですか。
少なくとも、ミソフォニアの感覚がない人は、不快に感じるような食べ方や、呼吸器系の音を耳にしたとしても、音を聞くたびにイライラが湧く、ということはありません。
せいぜい「気にはなるけど、わざわざ指摘して、音を出すなと言いたくなったりはしない。聞き流せる」ぐらいの感覚です。
もしもルールやマナーがなかったとしたら、どう感じる?
もしもあなたの気にする音を、マナー違反でもなく、誰に迷惑がかかるわけでもない場面で耳にしたとして、どう感じるでしょうか?
なにもなければ「何とも感じない」と思うんですよね。
それでもあなたに不快な感情が湧くのでしたら、規範意識とは全く繋がりのない「音→不快」という条件反射回路に由来する感覚です。
ミソフォニア特有の感覚と、規範意識が区別できていないと、どうなる?
単に、音へ反応してイライラが出ているだけのところへ「こうするべきなのに」という規範意識が入り込んでくると、怒りの矛先が音を出す相手に向かいやすくなります。
「この人、非常識だし迷惑!」
「もうやめてよ!しつこい!」
「うざい、邪魔、消えろ」
と、あなたは音を出す相手の人格や、存在を否定するような考え方を抱きがちになります。
そのような意識を持っていて、あなたと相手の関係性がうまくいくはずもなく。
あなたは不快な感情を手に負えないほどエスカレートさせてしまいます。
それに、音を出すたびに文句を言われたり、機嫌の悪そうな態度のあなたに気づいた相手も、「なんなんだよこいつ」と反感を強めていくのは必然的です。
どうやれば、規範意識の自縛から抜け出せる?
まずはあなた自身の中で「音でイライラしない」ことの優先度を上げることです。
そうしていないと、「こうしているべきなのに、相手がこんなことをするから自分はイライラするんだ」という、事実から逸れた固定観念を強めていってしまいます。
まとめ
ミソフォニア当事者の方の話を聞けば聞くほど、真面目な人が多いと感じます。
かくいう僕も、中学生時代に「クソ真面目」と言われていました。
たしかに「自分は正しいんだ」と思うことで、音によってイライラする「理由っぽいもの」にはなってくれます。
ですが、本当の理由とはズレまくっているので、問題がこじれていく要因になりかねません。
ミソフォニアを根本的に良くしていくためには、柔軟な心と視点が不可欠です。
「自分の考え方や視点が、固まってしまっているかもしれない」と思う方は、一度見直してみることをおすすめします。